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旧巻町・住民投票の軌跡

「民主主義の学校」と呼ばれた町

 

インタビュー / 笹口 孝明[元巻町長・笹祝酒造株式会社代表取締役]

1996年、全国で初めて条例に基づく住民投票が旧巻町(現新潟市西蒲区)で行われた。東北電力が同町角海浜地区に原子力発電所建設計画を発表、その賛否が問われた。笹口さんはその当時の巻町長である。原発建設という大きな問題を決めるときにも、選挙で選ばれた首長や議員、行政が決定権を持っていて、町民はその決定に間接的にしか関われないという、議会制民主主義の壁にもぶつかった。運動団体の設立、自主管理による住民投票、町議選への候補者擁立、町長リコール、そして笹口さん自らが町長へ立候補し当選。そして、条例に基づく住民投票の実施。しかし、示された民意がそのまま受け入れられたわけではなかった。小さな地域の中、町民それぞれが複雑な人間関係の中で問題に向き合い一票を投じた。住民投票から20年が過ぎようとしているいま。もう一度、その歴史をひもときたい。

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レジャー施設ではなく原子力発電所だった

― 旧巻町に原子力発電所建設計画が持ち上がったのはいつだったのでしょうか

 

町民に知られるようになったのは、1969年(昭和44年)6月の「新潟日報」のスクープでした(本誌にて転載予定)。実は、東北電力は1965年頃からダミーの土地ブローカーを通じて土地の買収をはじめていたんです。大型のレジャー施設を作るという名目で。

― レジャー施設ではなく、原子力発電所だったと

 

非常に安い値段で、住民から土地を買い集めておいて、ほんとのことが知られたので作りますってはじめたんです。1971年(昭和46年)5月、東北電力は巻町角海浜への「巻原子力発電所建設計画」を正式に発表し、新潟県と巻町に協力を要請しました。

― 計画はずいぶん前からあったんですね

 

そうですね。東京電力の柏崎刈羽原子力発電所と同じようなタイミングで話が立ち上がっていましたが、柏崎刈羽のほうは土地取得も順調にいったんでしょうね【註1】。巻の場合は土地取得が難航しました。東北電力が土地の買収を進めた際、買い残しがあったんですね。その土地を町民(遠藤寅雄氏)が五カ浜の地主さんにその土地を売ってくれとお願いしました。そして遠藤氏は仲間を募ってその土地を取得したんです。

― まずは土地の取得がひとつの争点になった

 

その土地は建設計画の端のほうでしたが、もうひとつ角海浜の旧墓地がお寺のものか町のものかという問題がありました。角海浜村が巻町に合併した際、所有権が曖昧になっていたようで、その権利をめぐって裁判が続きました。その旧墓地はちょうど1号機の炉心付近ということで、重要な土地だったんです。

― 土地の取得が難航すると、建設計画もどんどん遅れていったんですね

 

もうひとつは、町長が1期ごとに代わっていったということもあります【註2】。原発の話が持ち上がって以降、町長選の立候補者は「原発慎重」と掲げていた方が当選してきました。というのも、当時の巻町の政治状況は保守が二派に分かれていたんです【註3】。その勢力が拮抗していたんですね。それでどうするかというと、社会党と協定を組むんです。現職の保守系町長は、「原発推進」で選挙に出る。そして保守系の新人は「原発慎重」で出て、当選しました。新人もまた「原発反対」とは言わないわけです。

― 当選した後はその姿勢はどうなっていくのでしょう

 

当選後は、「慎重」から「推進」へとその姿勢や発言が変わっていくわけです。そして、次の選挙で新人に敗れると。

― 土地の取得、町長の交代などで原発建設の計画はずっとあったものの、進まな かったと。動きがあったのは

 

建設計画発表後、1977年に巻町議会が建設同意。1980年、町長が建設同意。そして、1981年、君健男新潟県知事も建設同意しました。同年11月、電源開発調整審議会で国の電源開発基本計画に組み入れられ、翌年には通産省(当時)に原子炉設置許可申請書を提出し、国の安全審査が始まりました。しかし、先に話したように土地取得が思うように進まず、1983年、東北電力は安全審査の中断を申し入れました。東北電力が建設計画を取り下げることはありませんでしたが、それからしばらく膠着状態が続きました。町民の間でも、「どうなるんだろう」「できるのかもしれないけど、はたして」など、長く大きな関心事項となっていたわけです。

― 角海浜の墓地はどうなったのでしょうか

 

1987年に東京高裁の判決で土地は町有地と確定しました。すると町の判断で、売却が可能になりました。ただ当時、1期の佐藤莞爾町長は原発重派した。90年の2期目の選挙時も慎重派として選を果たします。しかし、1994年の期目では、原発推進へと転向して立候補ました【註4】。

― いつの間にか原発建設への準備が整っていったと。選挙戦どのようなものだったのでしょう

 

現職の佐藤町長の他に、社会党と協定を結んだ元町議長の村松治夫さんと保育園経営をしていた相坂功さんが立候補しました。村松さんは「町民の意向調査を行い、その結果を尊重する」という慎重派で、相坂さんは「青い海と緑の会」を結成し活動する反対派でした。結果、佐藤町長が9006票で3選となりました。村松さんは6245票、相坂さんは4382票でした。この結果を受けて、いよいよ巻町に原発ができるのかという自覚が生まれました。それと同時に素朴な疑問も。

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