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 町長が代わったら…

 町有地を町民に売却

 

― 町長と議会の対立が続く中、町有地に関してのその後は

 

土地は町有地ですので、その後、町長が代わればどうなるかわかりませんよね。原発推進派は、次の町長選挙で勝てば、まだ原発建設は可能なんだと、こちらに聞こえるくらいのことでもって、動きを露にしてきていました。それを心配した保守系の住民投票賛成派の議員が声をかけてきたんです。「実行する会」をはじめ民意尊重派のメンバーで町有地を買うことにしたんです。その時に集めた1500万円は、佐藤前町長が東北電力に売却しようとしたのにすこし色をつけた額です。原発予定地となったためにつり上がった金額でしたが、その金額を前提に私は職権で、随意契約により民意尊重派の町民に売却しました。

 

― そこで町長が代わって、土地が売却されることもなくなった

 

巻町の住民投票があった後、沖縄県名護市では米軍のヘリ基地移設に対する住民投票が行われました。基地移設に反対という結果がでたのですが、比嘉市長(当時)は基地受け入れを表明し、辞めてしまいました。

そういうように町長が代わったときに売却して辞めてしまうことも可能なんですね。それも心配でした。

 

― 売却はいつ

 

1999年8月です。

 

― 1期目も終わりに。売却しましたが、2期目も立候補されたと

 

売却に関して原発推進派から訴訟が起こされることになるんですが、私としては売却に関して町民に認めてもらうためにも、立候補しました。原発推進派が直接的に推薦する人物は立候補しませんでしたが、私ともう一人立候補した人は、選挙に際して原発について聞かれると「もう済んだ話だ」と答えていました。

 

―「済んだ」というと微妙な発言

 

先ほどの沖縄の話でもそうですが、名護市の比嘉市長が辞めた後に、二人が立候補しました。一方は基地反対を明確に表明していましたが、もう一人は「もう終わったこと」としたまま選挙に出て当選しました。そのことがその後、住民投票とは別の結果を招くことになったわけです。仲井眞知事にしても県内移設絶対反対と言っておきながら、賛成してしまいました。言わなければ尚更なんでもできますよね。だから、「済んだ」という言葉はすごく便利で、後から何をするかはわからないわけです。

 

― そして2期目へと

 

2000年1月に2期目の当選。その2月に原発推進派が私が行った随意契約での町有地売却が違法だとして訴訟を起こしました。しかし、2001年3月、新潟地裁は請求を棄却。2002年3月、東京高裁でも棄却。2003年12月、最高裁は上告を受理しないと発表しました。ようやくそこで東北電力は計画を断念、平山知事もまた計画撤回すべきと発言しました。

 

― 住民投票以後もそこまで続いた問題だったんですね

 

12月のある日、最高裁の事務局から巻町の総務課に電話が来たんですね。「笹口町長の任期はあとどのくらいだ」と問い合せがありました。その後、まもなく判決がでました。

 

― 住民投票を通じて町民の変化で感じたことは

 

この問題では早くからマスコミの皆さんが町に出て取材するわけですよね。でも町民はあんまりそんなことしゃべりたくないわけです。それが、後半に入ってくると、はじめ10人取材すると1人くらいしか応じてくれなかったのが、4~5人話してくれるようになってきたそうです。短時間の間に意識がぐーっと変わっていったんでしょうね。自分たちの将来を自分たちで決めたい。お年寄りたちは、子や孫のためにもここで意思を出さなきゃいけないと。その意識が明確になっていって8月4日を迎えたんじゃないかと思います。

従ってずるずると住民投票に入っていったんではなく、どうしたらいいんだろうとしていた意識が、はっきりとしたものに変わっていって、1票を投じたんだと思います。

 

― 笹口さんもまたひとりの町民だったところから運動をへて町長に

 

町長に立候補するときは、1期かなと思っていました。2期目も2年目くらいからいつ辞められるんだろうとは思っていました(笑)。辞める年度の5月末、「実行する会」の何人かに相談したところ「ここまでやってもらえればいいぞ」と言われていました。保守系の議員さんで2期目の後援会長になってくれた人、助役として仕事をしてもらった人、「熱き町政を語る会」や応援してくれた人などを自宅に呼んで「実は~」と了解をもらいました。ただ内密にということだったんですが、しばらくすると「新潟日報」の記者が電話をよこして。「そんなことは絶対ないですよ」と言いましたが、記事になるんですね(笑)。

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