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条例廃案、町有地売却も
町長のリコール運動へ
― 今度はリコール運動。ということは現職町長に代わってだれか、ということに も。笹口さんは立候補するつもりは
その時まではありませんでした。しかし、リコールの署名を集めていくと「笹口が次立たないんだったら、署名しないよ」と言われることもあったようです。たしかにその頃から、本町通り(巻町商店街)とかに用があって行くと、知らない人にも黙礼されたり、すがるような目で見られたりもしました。
― 運動を続けてきて、町の雰囲気も変わってきた
また条例制定派議員らで結成した「二・六会」の人たちが私の自宅に来て「笹口、立候補してくれ」と。ここで後ろ姿を見せたら男がすたる、じゃないですけど決意しました。私は家業の笹祝酒造で働いていて、当時は母が社長でした。反対するかなと思いましたが、母も賛成してくれました。
― リコール運動は
リコールの成立には有権者数の三分の一の署名が必要でした。約8000ほどでしたが、結果10231の署名が集まりました。その結果を受け、佐藤町長は辞職しました。
― そこで1996年1月の町長選となった
原発推進派も候補者の擁立を検討したようですが、決まらず。私ともう一人の戦いになりました。結果、私が当選し巻町長になりました【註8】。1月に町長になって、三月議会で住民投票をいつやるかを発表しました。やはり公約を掲げて当選したからには、半年以内だろうと7月7日を提案しました。しかし、議員は原発推進派が多く、新しい町長の言われたと通りにというのはメンツに関わるわけです。議会で否決されました。しかし住民投票への流れに抗するわけにはいかないとなったのでしょう、自分たちから8月4日を提案してきました。
インタビューページ7
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