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民主主義の学校から
普通の町にもどる
― 2015年4月、新潟市議会議員選挙がありました。投票率は全体で43%。八区ある中で、西蒲区はもっとも高く53%。それでも住民投票前後と比べると、旧巻町民の市政への関心はずいぶん薄らいだ印象です
住民投票が終わった後にマスコミや学者が、巻町のことを「民主主義の学校」だと表現しました。たしかに住民投票後も、「ヴィジョン研究会」や町民らで結成された運動もありましたが、それもやがて消えていきました。
― 自主管理による住民投票、条例に基づく住民投票、町長のリコール、町長の擁立など様々な運動が行われ、町民の意識も高いのでは
私は必ずしもそうは思っていませんでした。町民は原発の問題を極めて重大な問題であり、自分や家族、次世代にまで影響する可能性があると判断したからだと思います。その町民の意識はこの問題が終われば何事もなかったかのように普通の町に戻る、または普通の町に戻りたいというのが本音だと思ってました。住民投票直後でも、注目されるような議会でないと、傍聴人は一人か二人でした。そのうちの一人は東北電力の社員です。自分たちが陰で援助している議員が、東北電力にとって不利な発言をしないかどうかをチェックしにきていたんだと思います。なぜなら、そこで何をしているかというと寝ているんです。テープレコーダーでも回していたんでしょうか、寝ていても状況がわかるってことは。整理券を配ったこともありましたが、住民投票という大きな関心事項がなくなれば、それが普通ですよ。まして巻町も新潟市に合併されて、声が遠くなれば普通なことです。
― 私自身を省みてもたしかにそうです。しかし、政治のこと行政のことに関してもう少し自分事として捉えてもいいのでは
住民が行政や議会に関心を持っているかどうかは、住民自身の問題というよりも、多くの場合行政や議会の方に責任があると思います。住民に対し、わかりやすく情報を提示し、問題提起を行い、意見を聞いてそれを政策に生かす。そして、再び住民にフィードバックしていく。いわば住民とのキャッチボールを意識していくことが重要なのではないでしょうか。
インタビューページ12
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