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 全国初、条例に基づく

 住民投票の実施へ

インタビューページ8

民主主義,住民投票,原発,民主主義の学校

― 全国初の条例に基づく住民投票の実施へと

 

町民が建設計画を知ってすでに27年、賛成派も反対派もそれぞれにシンポジウムや議論の場を設けてきました。しかし、賛成反対両派がそろっての機会はなかなかなく、町として住民投票の前に両派がそろったシンポジウムを行うことにしました。推進派、反対派がそれぞれ専門家を呼び、また代表者がスピーチをしました【註9】。その際、町民が集まる人数に限りがあるので、その内容は冊子にして全戸配布しました。そのお金は原発関連の補助金を使ってやりました。原発の理解、啓発ということでお金が出るんですね。

― 長い間、揺れた問題にひとつの答えが

 

最後はチラシ合戦もすごかったです。隣の西川町や中条町といったところの団体からもチラシが入りました。街宣車、戸別訪問、ミニ集会、大集会も頻繁に開催されました。東北電力の社員も大勢、戸別訪問に回りましたし、資源エネルギー庁の役人も来ました。この頃、「ニュース23」の筑紫哲也さんは「巻町民は原発のことを語らせるとだれもが3時間は語れると言われている」と発言していたほどです。それくらい町民ひとりひとりが考えていたこということだと思います。私が住民投票告示日に出した「巻町民へのメッセージ」はそういう意味でも、多くの町民が「そうだなぁ」と思ったのではないでしょうか(本誌にて掲載)

― 結果は

 

原発建設に反対が12478票、賛成が7904票、投票率88・29%となりました【註10】。原発建設反対が六割を超えたわけですから、町の方針は原発は作らせないとなったわけです。

― 住民の意思を示すまでここまでの苦労があったとは。町の方針は原発を作らせないこと、土地は町有地のままと決まったわけですね

 

はい、そこでこの問題が終わるかとも思ったのですが、実際は違いました。東北電力は「みなさんの理解を得て進めたい」と。エネルギー庁も通産省も、当時の平山征夫県知事も原発推進の姿勢を崩しませんでした。

― え…。問題はここで終わりでなかったとは

 

議会でも議員と町長の対立が続きました。原発推進派の議員が多数ですから、私が町長としてやろうとする様々な議案に反対されましたね。町営体育館をつくることに反対。ある福祉センターにソーラーパネルを設置しようとしたら、「環境にやさしいエネルギーは原発だ」という議員もいました。それならと「実行する会」は、老人いこいの家にソーラーパネル設置のカンパを集めて町に「寄付」をしようとしました。しかし、目的寄付というのは議会に諮らなければなりませんが、それも否決されました。町の予算を使うわけではないんですよ…。「実行する会」もお金を集めておいて、寄付できなければ住民を騙したことになりますよね。それで調べたら、「現物寄付」であれば町長権限でできることがわかってそうしました。ほかにも巻町役場にあった電源立地対策課の廃止も否決されました(後に可決)。

― なんでも否決

 

私達はこれ以上、否決が続くのであれば、公約を守らない議員のリコールをするという構えを見せました。町議選では住民投票条例制定に賛成するとのことで、当選しそれを反故にした議員が三人おりました。私達がリコールの構えをみせると、今度は賛成に回った議員もいました。その結果、電源立地対策課は廃止することができました。

―「実行する会」の筋の通し方、運営方針にも特徴が

 

「実行する会」は会議の場をすべてマスコミに公開していました。町民みんなで決めようとしているのに、開示しないというのはよくないと。仲間に入ろうが、出ようが自由でした。あとは、代表者の権威がそれほどなかったとか(笑)。ポスターひとつ作るとか、なにか決めることがあっても私の意見が通らないことは多かったです。田畑さんとかが、「しょうがねぇなぁ、今回は笹口の意見をたまには通すか」と言ったりして(笑)。

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