投票することの重み
生まれた大きな流れ
― いよいよ自主管理投票がはじまってからは順調だったのでしょうか
投票初日はものすごい数の勢いで町民が投票に来てくれました。しかし、その中でも日暮れを待ってくる人、マフラーやマスク、帽子で顔を覆ってくる人、車でじいちゃん、ばあちゃん、奥さんを乗せてきても自分は降りないでいる人もいました。それぞれ仕事の関係もあったことでしょう。
―「投票する」ということだけでも人目を憚るような状況だったんですね
公正さを確保するというので、もうひとつ投票箱の管理がありました。何日もに渡って投票するので、夜、どこで管理するかということです。最初は、セコムさんに頼んだんですが、東北電力は自分たちのお客さんだから預かれないと言われました。それでたまたま私のおじさんが新潟で水産会社をやっていて、こういうところがあるよと紹介してもらったのが、押入れ産業という会社でした。裁判所や県庁の書類なども預かるようなところで、そこならとお願いしました。その日の投票が終わって、押入れ産業の車が出発すると一部のマスコミがその様子を追いかけていましたので、二重の意味で不正もないという(笑)。
― いよいよ開票となった
開票作業もまた大変でした。投票数と開票数が一致しなければならないところ、一票狂ったんです。三度数え直しましたが、合わない。私は選挙管理委員長を兼ねていましたから、開票人の方たちに「すみませんが、もう一度だけ数えてもらえませんか」とお願いしました。そしたら、重なっている用紙があって、ようやく数もぴたりと合いました。
― その結果は
建設反対が9854票で、建設賛成が474票。投票率は45・4%でした。私としては投票率が50%を越えることを目指してはいましたが、反対票が前年の町長選で佐藤町長が獲得した9006票を越えたことは大きな意味がありました。
― 条例に基づく住民投票の前に、自主管理投票までですでにすごいエネルギー
この自主管理投票までが一番大変でした。これが元になって大きな流れができあがったんです。
― 町民の意見に町は
その結果を持って、町長に面会を申し入れたら今度はあっさり会ってくれたんです。「公正さを確保した中で出た結果である、町民の意思を町政に反映させてもらいたい」と伝えました。しかし、「町議選、町長選で民意は出ている。ルールに則っていないので、行政とは関係ない」との答えでした。
― 議会制民主主義なのだからと
それでも「この結果は民意ですよね」と聞けば、「民意だ。しかし正規な手続きを踏んでいない運動だ」と。話が堂々巡りになって終わりました。そして後からわかったことなんですが、私たちが申し入れたのは2月9日で、その翌日、東北電力が町有地売却の申し入れに来ていたんです。それを受け、町有地売却に関する臨時議会の招集がかけられたんです。議会で審議するということでしたが、セレモニーですよ。最近の自民党が沖縄の基地問題でやっていることと同じです。議会は推進派の議員が圧倒多数です。議員らによって可決され、町有地が売却されれば、もうどうにもならないでしょう。東北電力のものとなってしまえば、もうぐうの音も出ない。自主管理の住民投票をこれだけ労力をかけてやったのに…。
― 制度の前に無力感が
議会制民主主義ですから議会で決めるならと、「実行する会」は全議員さんのところを回りました。推進派の議員さんの対応は、「これは私の信念だから」とがんと聞かない人、話は聞くけどダメという対応など。
町民がこれだけの意思を示したわけだし、せめて4月の町議選まで待ってくれないかとも説得しましたが…。
インタビューページ5
― 選挙で選ばれたとはいえ町長、議員の、または行政の権限の大きさをあらためて感じます。議会はどうなったのでしょう
いよいよ臨時議会となった時、町民を中心に多くの人たちが役場に押し寄せたんです。数日前からハンガー・ストライキをしている人もいました。推進派の議員は、反対運動をしている人たちに気づかれないよう、夜中のうちに裏口から入っていったんです。議会当日になって、他の反対派の町民も役場内に押し寄せました。その時、県警の機動隊も待機していて、議長の要請があればすぐに出動できるようになっていました。それを知った私は機動隊長に電話しました。「いま巻役場に集まっている人は、みんな巻町民なんですよ。みなさんが出て行って、町民を傷つけるようなことをしてもらっては困ります。動かないで下さい」と伝えました。どうにか議会は流会となり、売却については4月の町議選後に持ち込まれました。